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甲子園支えた「声」  [ネタ]

100周年を迎えた高校野球もベスト16が出そろい、まだまだ熱戦は続きますが、1946年に夏の高校野球が再開されて以来63年間、甲子園を支えた「声」があることを知っていますか?

甲子園.jpg
阪神甲子園球場 Official Online Shop の 甲子園グッズ(タオルハンカチ)

 夏の風物詩、高校野球。響き渡るプレイボールのサイレンを聞いたことのない人はいないだろう。戦後まもなく再開されてから今日にわたるまで、サイレンの声を担当していた一人の女性がいた。

 戦前は手回し式サイレンを使用していたが、戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から女性の社会進出を活発にするよう指令が出たため、手回し式サイレンと同じ音を声として出せる女性を採用することになった。この時選ばれたのが、当時甲子園球場で氷を売り歩いていた幣原さんだった。

 1958年の第40回大会で幣原さんは骨折で入院。あわてて別の女性を代理として立てたが、いつものサイレン音とかけ離れていたため、客からの苦情が殺到。その結果、静岡にある幣原さんの病室にマイクを設置し、甲子園に中継したこともあった。

 そんな幣原さんも、寄る年波には勝てなかった。ここ数年は大声が出せなくなったため、マイクのボリュームを上げて対応していたが、ついに今年を最後に引退を決意した。今後は地元の草野球大会などで活動するという。

http://kyoko-np.net/2009100201.html



甲子園でサイレンが鳴るのは、試合前のシートノック、プレーボール、ゲームセット、そして、8月15日の正午だそうです。
なぜサイレンが鳴るのか理由ははっきりしないようですが、ラジオ中継すらない時代。始まりと終わりを知らせるには、大きな音を出すしかなかった。次の試合に備える応援団、お弁当屋さん、駅員……。「球場にかかわる、すべての人があの音を頼りにしていたのでは」とのこと。
(出典: 2012年8月15日:「(アルプス席)「幻の甲子園」から70年 第94回全国高校野球選手権大会」朝日新聞紙面から)
http://withnews.jp/article/f0140811003qqf2140811001qqF0W0080501qq000010630A

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